「理解されたい」という気持ちの正体

SNSでも職場でも、誰かに自分の考えを「正しく理解してほしい」と思うことがある。
けれど最近、「理解される」ことと「共感される」ことは似て非なるものだと感じている。

理解とは、相手の中で論理的に整理されること。
共感とは、感情のレイヤーで一瞬だけ寄り添うこと。
どちらも大切だが、両立するのは難しい。

たとえば、技術的な議論では理解が重視される。
「なぜそう実装したのか」「どのように動作するのか」を説明する必要がある。
一方で、創作や日常の悩みを語るときには、共感が求められる。
「わかるよ」「私もそう思う」という言葉が、理屈を超えて心を支える。

結局のところ、人は「完全に理解されたい」わけではなく、「自分の存在を一瞬でも肯定してほしい」だけなのかもしれない。
だから私は最近、誰かの話を聞くとき、すぐに意見を返すのをやめた。
数秒の沈黙の中に、その人が何を求めているのかが見えてくる。

その小さな間(ま)の積み重ねが、きっと人間関係を静かに深めていく。

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